
少林寺拳法とは?
1947年(昭22年)、開祖・宗 道臣(1911~1980)が創始。
当時、日本は敗戦による混乱から秩序はすたれ、不正と暴力がまかり通っていた。宗道臣は、この現状を嘆き、中国で学んだ拳技をもとに、自らの理論による独自の拳法をあみ出し「少林寺拳法」と命名した。
人づくりのための「行」である
「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを」・・これが少林寺拳法の理念を表した宗道臣の言葉である。
技術と精紳、両方を鍛えることで、イヤなものはイヤと言える自信と勇気、そして行動力を手に入れ、なおかつ人と人とが協力し合うことの楽しさや大切さを学ぶことに修練の目的がある。
護身の技術である
少林寺拳法は、剛法、柔法、整法(整骨等)の三法二十五系より成り立っている。突き・蹴り主体の剛法も、抜き・逆・投げ・固めなどが主体の柔法も、その技法は守りと反撃からなる護身の技術である。
よって体格の大きさや力の強さ、性別・年齢に関係なく相手を制することができるよう合理的に構成されている。
組織と普及状況
少林寺拳法の関係団体には、少林寺拳法の普及を通じて社会に寄与する「財団法人少林寺拳法連盟」の他に、宗 道臣が提唱した金剛禅の教えを広め、門信徒を教化育成するための「宗教法人 金剛禅総本山少林寺」、少林寺拳法の指導者を養成するための「学校法人 禅林学園/専門学校禅林学園」、そして「少林寺拳法世界連合(WSKO)」がある。
ちなみに、少林寺拳法連盟の登録会員は150万人。また、日本国内には約2,850の支部がある。また、海外28ヶ国にも普及し、WSKOによって各地区講習会や4年に一度の国際大会なども開催されている。

少林寺拳法の特徴

求めるあり方
力の裏付けのない正義(愛)は無力であるが、正義を伴わない力は暴力に過ぎない。人間として強く、正しく生きてゆくため、自分が大切と思う人や他人のために平和で豊かな社会を実現させるには、理知や力だけではなく愛や慈悲が必要である。
相反するように思われるこの二つのものは別々に存在させてはならず、調和され た状態こそが理想的であり、そうでなければならないという考え。

修行のあり方
拳は肉体などの外面的なもの、禅は心などの内面的なものを表す。肉体と精神とは切り離すことができないものである。したがって、どちらもバランスよく修行すべきであるという考え。
肉体を鍛えただけでは円満な人格はできない。また、精神だけでも人や自分を守ることや、真に健康で幸せな生活を送ることはできない。

技法のあり方1
少林寺拳法は、人を傷付けたりするために用いるのではなく、武の本義に徹し人を殺傷せず、自分の身を護り、他人を助け、活かすための活人拳である。
そのため我々拳士は、修行を通じて社会の乎和と幸福に貢献することを目指して、演練している。

技法のあり方2
まず守り、それから反撃するという意味で、ほとんどの技法が防御からはじまり、反攻に転じる。これは、敵を倒すことを目的としているのではなく、正義正法を護るためだからである。
勝つ必要はない、それよりも絶対に負けないことの方が大事なのである。また、不敗の態勢を確立して後手必勝の機をとらえるためという技術的な教訓も含まれている。

技法のあり方3
剛法とは、突き蹴りなどの攻撃や、受けたりかわしたりする防御のことである。柔法とは、投げたり固めたりして相手を制する技法である。
両者は別々のものではあるが、どちらに優劣があるのではなく、両者一体となって初めて護身の技術として威力を発揮するのである。そのため、普段から相手の出方や攻撃の質・種類に応じて自在に対処できるよう修行していく必要がある。

修練のあり方
武として拳枝を用いる場含は、必ず相手がおり、攻防の機や間合など種々の条件が必要となる。これらは単独では会得し難いものである。したがって、技術の修行は初心より相手と組んで演練することを主体としている。
そして、ここから自分が上達すると共に、相手にも上違してもらおうとお互いに連帯感が生まれ、無意識のうちに相手を認め、立てる習慣が身につき、協調性のある人格が養われる。
